脱専門性と参加型デザイナー

デザインと科学〈Joichi Ito – Journal of Design and Science〉(2016.9.8)

 マサチューセッツ工科大学のMITメディアラボ所長である伊藤穰一氏は、脱専門性 (antidisciplinary)をキーワードに、専門化分業化が進んだ現在において、既存の学問の領域に収まらない研究の必要性を問いています。それは学際研究(ちがう分野の人々が共同で作業をすること)とも異なるものです。

 伊藤穰一氏は、デザインという概念が拡張され「なんでも屋」のようになった現代社会においては、デザインはあらゆるところに遍在し、人々は「中央計画者ではなく、自分たちが中にいるシステムの参加型デザイナー」であるとし、プロジェクトに外部から関わるのではなく、一人の「参加者」として他者の力やアイデアと相互作用するシステムを形成していくとしています。

デザイナーという「なんでも屋」

 現代に生きる我々は、自分の専門分野の外側については全く無知です。日常においても実感することですが、普段何気なく使用しているスマートフォンやPCの仕組みを、ほとんど知りません。それどころか、電卓ですら自分で組み上げるのは難しいでしょう。

 同様にデザイナーに経理はわからないし、エンジニアに営業はできないと思っています。熟達した専門家同士の会話に素人はついていけず、また割り込む隙を与えてくれません。

 現代とは孤立した専門家の集合であると言えます。そのような時代において本当に新しいこととは、一つの領域に特化した知識や技術を身につけることではなく、それぞれの分野を行き来するような柔軟な知性と態度の有り様です。

コントロール可能な資源を超越して機会を追求する

 evernoteの共同創業者のフィル・リービン氏は好きな言葉として「Entrepreneurship is the pursuit of opportunity beyond resources controlled」を挙げています。ハーバード大学ビジネススクールのハワード・スティーブンソン教授の言葉です。
独白「僕がエバーノートCEOを辞めた理由」(2017.5.17)

 日本語で表すと「起業家精神とは、自分がコントロール可能な資源を超越して機会を追求すること」。それは、伊藤穰一氏が語るところの「システムの参加者としてのデザイナー」と通底する部分があります。

 技術や経験がなくては何もできませんが、全てを理解し掌握することも不可能であり、意味があることではありません。状況に合わせて変わっていく柔軟さ、人から学んでいく寛容さ―それに加え、不確実性のなかで自分の意志を持ち続け、決断していくことが新しい時代を創る人物像であるように思えます。