医療情報に関わる業界にはこの十年ほどで、ディオバン問題、WELQ問題、人生会議のポスター問題と医療情報の危うさ、それに対する信頼を揺るがすような事件がそれなりな頻度で起きている。
また子宮頸がんワクチンに対する誤った情報流布が、ワクチン接種に対する空白を生んでいる。
当時、エージェンシーにて医療用医薬品プロモーションに携わっていた私は、肌感覚としてプロモーションの苛烈さを知っている。
私が関わっていた医薬品からは問題は出なかったが、ただ幸運だっただけかもしれないし、誠実に仕事に携わるチームや仲間にも恵まれていたのだろう。
使う道具や技術は一緒なのだが、他のジャンルとは責任が異なり、言ってしまえば、それはデザイン的なクオリティとは交わることない別箇の話だ。
ただそれだけなのだが、医療情報に専従しないと、ここが認識しづらいというか、デザインは「責任」という概念がもっとも苦手ではないだろうか。
そして、ここがわからないと全く無意味というか、逆効果すらありうる。
医療情報のプロモーショナルな案件において、「クライアントがいうから」「もうスケジュールが決まっているから」と鵜呑みにしたり、「意見の相違はない」というのは非常に危険なことだ。
プロモーションというのは、判断を捻じ曲げる強烈なバイアスだ。
医療情報のプロフェッショナルとして「絶対に間違いが許されない情報の精度」というのがある。
華やかなクリエイティブというよりは減点方式の銀行のような作業で、一人ひとりが責任をもちつつも、ダブルチェック、トリプルチェック、パンフレット一枚でも第三者機関の審査は当たり前で、そのためにスケジュールがずれこむことも珍しくない。
やはり医療情報には、お酒やお菓子みたいな嗜好品とは異なる責任があるのではないか。
デザイナーもただ言われたとおり、手を動かせばよいわけではなく、自分の判断や疑問をチームの中で共有できるようにならなければならない。