今のJAGDAは慇懃無礼という表現が相応しい

 私は、日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)の正会員である。会員約3,000名を擁するアジア最大級のデザイン団体である。3,000名なんて大して多くないとも思うのだが、そもそもデザイナーなんてそんなにいないのか最大級らしい。

 実は、今年度の年会費を収めていないという事実に気がついた。というか気付かされた。なんかそんなメールきてた。すみません。

 しかしぶっちゃけ「これ必要かな?」とか思っている。さらにぶっちゃけると、今のJAGDAには不信感もある。

 かつてはデザインという未知のアイデンティティを社会にぶちこむくらいの気概があったのではないかと思うのだが、近年は世の中の価値をなぞらえるだけで、特にエンブレム問題では関係者が多くいたにも関わらず、長いものに巻かれたような発言や態度がいちいちがっかりさせられたと記憶している(製作者を個人攻撃するつもりは毛頭ない)。

 喉元過ぎた頃に、「そっと」届けられた報告書を読むと、「過剰な批判で真実は捻じ曲げられている。世間の人々は専門家ではない」といった主旨だ。

 法律家に相談して、差し障りのないことを確認したであろう方便がつらつらと続き、読むのが本当につらいのでパラパラとめくった後、しばらく放置していた。読み返してみると「自分達はこう考える。法律的にはもちろんオッケー」という内容だ。

 慇懃無礼という言葉が相応しいだろう。社会に対して、である。根底には「説明しても素人にわかるはずがない」という奢りがある。「あなたにこのデザインがわかるか」という風だ。そういった眼差しで世の中を見ている。

 開かれた議論に乏しいトップダウン式の決定と、逆らい声をあげる会員の乏しさ。質の高い低いに関わらず、クリエイター同士の公な批判がなく、議論を俎上に上げることができない。これは徒弟制度じみた業界の弊害もある。政治や社会を批判しても、自らの襟元は正せないのである。このような方法でずっと続いてきて、時代がものすごい早さで変わっていくこのご時世に、同じことを続けていくつもりなのだろうか。

 JAGDAというものに少なくない希望を抱いて入会した私は、正直に失望した。クリエイティブに反骨心を期待する私が幼いのだろうか。

業界内構造で成立している

 この肩書が役に立たないかというとそうでもないのだが、ものすごく役に立っているかというとそうでもない。どこで一番役に立っているかというと、やはり業界内部で役に立っている感が強い。多分私のことをそういう目でみている方々も相応にいらっしゃるだろう。

 こんなことを言うと友人知人諸先輩方がとても難しい顔をするだろうが、結局はそこで作った人脈が役に立つという話でコネは大切なのだが、会員を含む社会全体にとって真に公益性の高い事業をしているのかというと、どうなのだろうか。今の時代にポスター1枚で広島をアピールできると考えているのか。そもそも「広島をアピール」とは一体何なのか。アピールしたいのは自分たちの存在ではないのか。初期と比較すると、社会に対して訴求するコンセプトがない。

 拮抗する組織がないのも問題だ。デザイン賞の審査員を見るとどこも似たような顔ぶれの寡占状態であり、一部会員の利益を図っていると見られても、構造がそれを可能にしているのだから仕方あるまい。会員のためにJAGDAが存在するのか。社会全体のために存在するのか。JAGDAのためのJAGDAなのか。

 しかし、エンブレム問題以降、少し潮目が変わってきている気もする。色々な意味で転換点なのかもしれないが「役に立てるも立てないも自分次第」だったら、この金額でオンライン英会話でも始めた方がウキウキするのではないかとか考えている自分もいる。

 最早エンブレム問題も空気になりつつあるが、私はJAGDAを退会する。ただし、そこには真に尊敬に値する方々も存在することを付記しておくし、その過去の業績や未来の可能性を否定するものではない。しかし現状、私がJAGDAに貢献できることも、JAGDAを通して社会に貢献できることも皆無であると判断する。

 でも年会費は今年くらいは収めるべきじゃないの。つうか、もう半年経ってるじゃん。

参考資料(JAGDAホームページ[https://www.jagda.or.jp/]内)
1)東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会エンブレム第1回設計競技について(2016.07.28)
2)東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会エンブレム第1回設計競技について(追記)(2017.03.30)