医療分野のクリエイティブとイノベーションのグレーゾーン

共同通信が全国の新聞に配信した医薬品の記事が「買われて」いた――。電通グループからの「成功報酬」(ワセダクロニクル 2017.2.1)

業界絡みで様々な問題が出てきてうんざりしますが、これはドキリとするほど自分に近い。黙ってやり過ごした方が賢いのかもしれませんが、思うところもあります。

最近は記事体広告そのものが減った印象ですが、医療に従事するプロフェッショナル向けの情報を一般向けで使い回したということのようです。金銭的なやりとりは少額でも論外ですが、一個人の仕業というよりもステップを経ることで、倫理観が希薄になっていく、あるいはそれがどういうことか「よくわかっていない」人達が絡んできて、「本当は駄目だけど、これくらいだったらいいんじゃないか」という空気が出て来るのは、経験的にも分かる気がします。

自分が携わった仕事が巡り巡って、その一部でも違法に使いまわされることがありうるのはぞっとします。しかし、プロセスの全てに関わるのは現在の広告業では構造的に難しい。

医療情報を正しく「攻める」ということ

「法的にグレー」こそイノベーションの源、日本が米国に負ける理由(ITpro 2017.2.6)

イノベーションとは明示されていない部分を攻め、制約をかいくぐることということ―これは一面において正しいのかもしれません。ただ、外資系企業でグローバルな医薬品のプロモーションに携わった私の知りうる限り、日本のクリエイティブはこのグレーゾーンを攻める、あるいはリスクの取り方がものすごく下手です。

「グレーゾーンを日本企業は、行政機関のお墨付きを得た手順を忠実に守ることで、法的リスクを回避しようとする」

同様に日本のクリエイティブもリスクを敬遠し、あくまで嗜好品やエンターテイメントなど「リスクの低い分野」を得意としてきました。しかしその代償として、医療や教育など本当に制約の多い分野をどう「攻めれば」よいのかがわからなくなっているのではないでしょうか。これは日本人らしい生真面目さの裏返しなのかもしれません。あるいは、クリエイティブの根底に社会を変えるものというリアリズムがある欧米とは決定的に異なり、あくまでアートもデザインも「娯楽」や「文化」の範疇でしか捉えられないという状況が続いているのかもしれません。

これまでも何度かありましたが、日本の広告やPR・メディアのプロ中のプロでも、普段から医療をはじめとしたセンシティブな情報の扱いに関わっていない人には越えてはいけないラインが、知的にというより感覚的、もっといえば文化や、企業風土に根付いた経験的によくわからないのではないかと感じます。