人は先行するイメージを無意識的に追いかける
ゼロから生み出されたイチがあってこそ、その後の100や1000が存在するのだが、その価値を正確に評価するのは非常に難しい。
著作権の判断が実際のところ困難であるように、0から1が生まれる瞬間を客観的に判断することも容易ではない。
「すべての創造物は引用の産物であり、純粋な0から1は存在しない」という学術的な見解もあるが、より実践的な視点では、新しい市場を創出したか、あるいはブレイクスルーを起こした瞬間を指すと考えられる。
iPhoneの登場でスマートフォンというカテゴリーが確立され、その後のAndroid端末が同様の形態を採用したのは、最初のアルファ的存在が持つイメージの影響力から逃れられなかったためだ。
アルファにはそれだけの価値がある。
人は先行するイメージを無意識のうちに追従してしまう。
Androidのデザイナーたちは、意図的にiPhoneを模倣しようとしたわけではないだろうが、「薄型で手のひらに収まる板状の、画面上にアイコンが並ぶ」というフォーマットから抜け出せず、それがデフォルトとなり、その後は微細なバリエーションを生み出すにとどまっている。
私たち消費者も、iPhoneとAndroidの形状の類似性を気にかけることはなく、むしろ既に認識すらしていない。
スマートフォンはそういうものだという認識が定着し、異なる形状は受け入れられなくなっている。
本来なら無限の可能性があるはずなのに、それさえもiPhoneという基準点との関係で判断されることになる。
極めて単純な言い方をすれば、あの形状を生み出したことは「桁違い」の偉業だ。
これは見過ごしやすいが極めて重要な点であり、このような創造性を尊重しなければ、企業も国家も、その理由を理解しないまま、革新を起こせず衰退しかねない。
ただし、現実的には0から1の先には無数の段階があり、それぞれの時代に求められる「光るアイディア」は異なる。
フェーズに応じて必要とされる創造性も進化させていく必要がある。