ヘルプマークと批評のない日本のデザイン
当事者として、いろいろな自治体や福祉領域の配布物を見る機会がある。正直に言えば、多くはあまりよくできていない。見た目も、質感も、使い勝手も、どこか事務的で、場当たり的で、配られるものとしての軽さがある。
それは、患者として感じる立場に通じるものだ。患者は「ついで」であり、社会の周縁へと向かわせられやすい。その中で、ヘルプマークは明らかに違う。
物としての完成度がある。視認性があり、丈夫で携帯しやすく、公共空間の中で埋もれない。タグとしての存在感もある。単なる啓発グッズや役所の配布物ではなく、きちんとデザインされたプロダクトとして成立している。大袈裟かもしれないが、感性が高い人は、自分は尊重されていると感じることが出来るかもしれない。
だからこそ、違和感がある。
粗悪なものなら、まだ分かる。よく考えられていない、いつもの行政物だと見なすこともできる。しかしヘルプマークはそうではない。明らかに考えられている。明らかにうまい。だから、そのうまさが何に支えられているのかを問わずにはいられない。
ヘルプマークを見るたびに、ずっと複雑な気持ちがある
制度としての意義を否定したいわけではない。ヘルプマークは、外見からは分かりにくいが援助や配慮を必要としている人が、そのことを周囲に知らせるためのマークである。東京都は対象として、義足や人工関節を使用している人、内部障害や難病の人、妊娠初期の人などを挙げている。私のような指定難病の人にとって重要なマークであることは間違いない。
ただ、デザインとして見ると、どうしても引っかかる。
赤い地に、白い十字。その横にハート。この組み合わせは、どう見ても赤十字的な文脈を呼び込んでいる。
もちろん、ヘルプマークは赤十字標章そのものではない。赤十字は白地に赤い十字であり、ヘルプマークは赤地に白い十字で、さらにハートが加えられている。形式的には違う。
しかし問題は、法的に同一かどうかだけではない。公共空間に置かれる記号として、その形がどんな意味の蓄積に乗っているのか。人々がそれを見て何を連想するのか。その連想を、デザインがどこまで自覚的に使っているのか。そこが気になる。
私は医療分野に慣れていないデザイナーが、病院やクリニック、薬局、医療系サービスのロゴやイラストに、「赤い」「十字」を入れてくるのを毎回のように見ている。多くの人にとって、赤い十字は「医療っぽい」「救急っぽい」「ケアっぽい」記号なのだと思う。
しかし本来の赤十字は、医療一般を表すマークではない。日本赤十字社は、赤十字マークを、戦争や紛争などで傷ついた人々や、それを救護する軍の衛生部隊、赤十字の救護員・施設などを攻撃から守るための標章だと説明している。類似したマークも使用制限の対象になるとしている。大阪赤十字病院も、赤十字マークは病院や救急車や薬箱の一般的なマークではなく、赤十字に関係する活動にしか使用を許されていないものだと説明している。
つまり、赤十字は「医療っぽいマーク」ではない。戦争、紛争、救護、中立、国際人道法に関わる、非常に重い標章である。それは、医療分野に携わるデザイナーであれば、リテラシーとして知っていることでもある。
だから、私には「赤」と「十字」は安易すぎて使えない。医療やケアを表したいからといって赤い十字に手を伸ばすこと自体がかなり「素人」にみえる。医療分野に慣れていればいるほど、そこは避けるだろう。
その意味で、ヘルプマークはとても複雑に見える。赤十字そのものではない。しかし、赤十字的な連想から完全に離れているわけでもない。赤い地に白い十字を置いたとき、人々はそこに医療、救護、保護、緊急性、ケアのようなものを読み込む。そしてヘルプマークは、その読み込みをかなり効率よく使っている。
赤は目立ち、十字は強く、ハートが意味を柔らかくする。結果として、「何か支援や配慮が必要なのだろう」という印象が一瞬で立ち上がる。
うまいが、うますぎるデザイン
重要なのは、このデザインが雑に作られたものではないということだ。ヘルプマークのデザインには日本グラフィックデザイナー協会、JAGDAが協力し、グラフィックデザインを永井一史氏、プロダクトデザインを柴田文江氏が手がけている。東京都のPR情報でも、JAGDA、永井氏、柴田氏の協力が明記されている。
つまり、これは医療分野に不慣れなデザイナーが、赤十字的な記号を「何も知らず」「うっかり」使ってしまったという話ではない。位置付けはむしろ逆に見える。
赤十字そのものは避ける。しかし、赤十字的な社会的連想は使う。白地に赤十字ではなく、赤地に白十字にする。そこにハートを加えて、救護や医療の硬さを、配慮や思いやりの方向へずらす。これはかなり高度かつ意図的な判断に見える。
ヘルプマークは、赤十字標章そのものの使用ではない。しかし、社会の中にすでにある「赤い十字=医療・救急・助け」という「誤読」を、公共デザインの資源として使っているように見える。
そしてここに、日本のデザインらしさがよく出ている。技術的には洗練されている。物としての完成度も高い。視認性も、携帯性も、質感もよい。公共空間で機能する強さもある。
しかし、思考は浅い。
浅いというのは、造形が未熟だという意味ではない。むしろ造形はうまい。問題は、そのうまさが、どのような記号の借用によって成立しているのかを十分に問わないまま、社会に通ってしまうことにある。
弊社もDesign +Consultingとしてプラスを用いており、プラス=十字=医療との文脈との接続をそれとなく表現している。
“+” は、Design と Consulting を接続する演算記号であると同時に、ヘルスケア領域に置かれることで、医療を想起させる十字の記号性ともかすかに接続する。赤を伴わない十字であっても、医療との連想は一定程度グローバルに共有されている。しかしここでは、赤十字標章を直接参照するのではなく、加算・統合・専門性の拡張を示す抽象的な符号として扱っている。医療記号としての明示性を避けながら、その連想だけを背景に残すことで、過度に説明的ではない接続をつくっている。
「わかればいい」「目立てばいい」「機能すればいい」「普及すれば成功」
売れたもん勝ち、やったもん勝ち。デザインには、そういう本音がある。視覚デザインは美術館に置かれる作品ではない。駅で、電車で、役所で、街中で、一瞬で伝わらなければならない。現場で機能しなければ意味がない。
しかし、「分かる」は無垢ではない。何によって分かるのか。どの連想によって、どの誤解を利用して、どの歴史的記号を薄めることで分かるのか。そこを問わないまま、「社会に定着したから成功」と言ってしまうところに、私は日本のデザインの浅さと難しさを見る。
当初、ヘルプマークは、記号としてはかなり言葉足らずだったと思う。マーク単体を見て、それが「外見からは分かりにくいが援助や配慮を必要としている人のためのもの」だと理解するのは難しかった。
ただ、記号の意味は、最初から形の中に内蔵されているわけではない。駅で見る。ポスターで見る。アナウンスで聞く。自治体が配る。交通機関が掲出する。そうした反復によって、意味は社会の中に定着していく。時間が経てば、人は分かるようになる。
けれど、「分かるようになった」ことと、「その形でよかった」ことは同じではない。「社会で機能した」ことと、「記号として十分に考えられていた」ことも同じではない。
むしろ、ここで必要なのが批評だったはずだ。なぜ十字なのか。なぜ赤なのか。なぜ見えない障害や配慮の必要性を、医療・救護の記号圏に寄せるのか。マタニティマークのように赤十字的な連想に乗らない別の公共記号はありえなかったのか。そういう問いが、本来ならもっとあってよかった。
しかし日本では、そこで話が止まりやすい。有名なデザイナーが作った。見た目がよい。物としてよくできている。社会に広がった。役に立っている。それはどれも評価軸ではあるし、昔はそれで良かった。でも、現代では足りない。
デザインは、単に問題を解決する技術ではない。社会の中に意味を配置する行為でもある。とくに公共デザインは、人々の認識や行動に関わる。何を見たときに、誰を支援すべきだと思うのか。どんな身体や状態を「助けが必要」として可視化するのか。そこには、倫理も、制度も、歴史も、権力も関わっている。
それなのに、日本のデザインでは、しばしば技術的な完成度が思考の浅さを覆い隠してしまう。きれいに作れていて、ちゃんと機能し、使いやすく、普及している。だからよい——この評価の回路が強すぎる。
日本のデザインには強みがある。物としての精度、素材感、活版など印刷や成形の品質、余白の扱い、編集感覚、現場に落とし込む力。そうした「良き職人」としての技術は本当に高い水準にあると思う。しかし、その技術的な洗練が、思考の深さと必ずしも結びついていない。むしろ、うまく作れてしまうからこそ問いが発生しない。完成度が高いからこそ批評が止まる。
ヘルプマークは悪いデザインではない。むしろ、よくできたデザインである。だからこそ、そこにある浅さが見えてしまう。
このマークは、制度としては必要だった。物としてもよくできている。社会の中で機能もしている。しかしその成功は、赤十字という本来は非常に重い標章が、社会の中で「医療っぽいマーク」として薄められて「誤解」されていることに、かなり依存して成立している面がある。
それは単なるデザインのうまさなのか。それとも、誤解に乗ったデザインなのか。そこは単純な善し悪しではない。私は、ここに批評が必要だったと思う。
「わかればいい」というデザインの本音。それは現場では正しい。でも、それだけで済ませてしまう社会は、やはり弱い。
ヘルプマークは、よくできている。だからこそ、浅い。そして、その浅さを覆い隠すほどの技術的な洗練にこそ、私は日本のデザインらしさを見てしまう。
ヘルプマークは赤十字的であると同時に、スイス的な公共デザインの顔もしている。赤地に白い十字はスイス国旗を思わせ、幾何学的で、清潔で、中立で、国際的に見える。しかしその「正しそう」な見た目が、赤・白・十字・ハートに蓄積された意味の複雑さを覆い隠している。
10年前から変わらない問題
この問題は、東京2020オリンピックをめぐる一連のデザイン問題ともつながっている。
中西元男氏は2015年、東京オリンピックに関わるデザインについて、「日本デザイン界の大きな時代遅れ」として批判していた。そこで問われていたのは、エンブレムが似ているかどうかだけではない。東京オリンピックという国家的・公共的なプロジェクトにおいて、デザインが何を達成すべきなのか。その戦略や目標そのものが設計されていなかったことだった。
中西氏はそれを、「今しか考えない日本人」「見事な部分職人としての日本人」の露呈だと書いていた。
ヘルプマークの違和感も、そこに接続している。これは東京2020のような巨大プロジェクトではない。ひとつの小さなタグ型のマークである。しかし、そこにも同じ構造がある。物としてはよくできていて、視認性があり、普及もし、必要な人の役にも立っている。けれど、その記号がどのような意味の蓄積に乗っているのか、赤十字的な連想をなぜ必要としたのか、医療・救護・ケアの「誤読」にどこまで依存しているのか、という問いはほとんど深められていない。
つまり問題は、デザインの技術が低いことではない。むしろ逆である。技術的には洗練され、現場に落とし込む力も、物として成立させる力も、一瞬で伝える造形力もある。しかし、その技術的な洗練が、思想や批評の不足を覆い隠してしまう。
東京2020をめぐるデザイン問題が、大きな公共プロジェクトにおける戦略の不在を露呈したのだとすれば、ヘルプマークは、一つの公共記号における批評性の不在を露呈している。規模は違うが、根は同じである。
日本のデザインは、形にする力が弱いのではない。むしろ、形にする力は強い。けれど、何を形にしているのか。どの記号を借りているのか。どの誤解を利用しているのか。どの制度や歴史に接続しているのか。そこを問う力が非常に弱い。
ヘルプマークに感じる違和感は、その意味で、単なる一つのマークへの違和感ではない。東京2020のデザイン問題から続く、日本のデザインにおける「技術的な洗練と思考の浅さ」の同居への違和感である。
『日本デザイン界の大きな時代遅れ』は解消されていない
つまり、日本のデザインは「表現そのもの」が弱いというより、表現を社会化し、産業化し、国際的な文脈に接続し、批評し、更新していく仕組みが弱い。
作る力、整える力、商品化する力、現場に落とし込む力はある。しかし、考え抜く力、疑う力、批評する力、制度や歴史に接続する力が弱い。
その結果、「よくできているが浅い」ものが社会に通ってしまう。そして、それを「成功事例」として語ることで、さらに批評の機会が失われていく。
東京2020のデザイン問題も、ヘルプマークも、規模は違うが同じ構造に見える。こういったものを手放しで褒め称える限り、日本のデザイン界は進歩しないのかもしれない。技術的な完成度や話題性や普及実績は語られる。しかし、その背後にある思想、戦略、公共性、記号の扱いは十分に問われない。
ヘルプマークは、赤十字標章そのものではない。けれど、赤十字的な連想から完全に離れているわけでもない。社会の中で赤十字が「医療っぽい」「救急っぽい」「助けっぽい」記号として誤解されてきた蓄積を、かなり効率よく使っているように見える。
そこに善意があるかもしれない。私もデザイナーとして、デザイナーがどういう人達か知っているつもりである。そして患者という立場になると本当にわかることがある。
少なくとも「恥ずかしそうに」ヘルプマークをつけている人はいないのではないか。患者が患者であることを堂々とさりげなく示せる。それは素晴らしいことだ。
ある起業家が私のところに遊びにきた。ハイテンションで頭の回転が早く、人懐っこい。さぞ仕事が出来るのだろうと、売り上げを何億とあげた成功談失敗談を楽しく聞いていたら、彼は私のヘルプマークを見つけた。彼は少し力なく笑って「わたしもそれ、持ってるんですよ。パニック障害で」と言った。私は彼の複雑さ・繊細さを見た気がした。そんなことはヘルプマークだからこそかもしれない。
だからこそ、そのうまさこそが気になる。
ヘルプマークは、その小さな、しかしよくできた実例に見える。中身がないというより、中身を問われないまま成立したデザイン。
結果として、医療=赤い十字という誤解を助長し、私の前には何も知らないデザイナーが選んだ赤い十字をつけたイラストが何十年も並び続けるのである。
時間とともにようやく定着してきたが、課題は残されたままだ。
参考
- 東京都福祉局「助け合いのしるし ヘルプマーク|PR情報」
https://www.fukushi1.metro.tokyo.lg.jp/helpmarkforcompany/pr/2016/201608.html
- 東京都福祉局「障害者に関するマーク|ハートシティ東京」
https://www.fukushi1.metro.tokyo.lg.jp/tokyoheart/mark.html
- 公益財団法人日本デザイン振興会「『ヘルプマーク』が登場・都営大江戸線各駅で配布を開始」
https://www.jidp.or.jp/en/2012/10/30/%E3%80%8C%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%80%8D%E3%81%8C%E7%99%BB%E5%A0%B4%E3%83%BB%E9%83%BD%E5%96%B6%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E6%88%B8%E7%B7%9A%E5%90%84%E9%A7%85%E3%81%A7%E9%85%8D%E5%B8%83%E3%82%92%E9%96%8B%E5%A7%8B
- 日本赤十字社「赤十字マークの意義と使用について」
https://www.jrc.or.jp/information/2022/1005_028731.html
- 大阪赤十字病院「赤十字のマークについて」
https://www.osaka-med.jrc.or.jp/aboutus/international/redcross.html
- 中西元男「日本デザイン界の大きな時代遅れ」
http://designist.net/blog/archives/2015/09/2020.html
