経緯の整理② ── ある契約解除について

前稿では、2026年6月の契約解除をめぐる経緯を整理しました。本稿では、契約前から始めます。
前稿と同様に相手方の名称・個人名は記しません。やり取りは原文の転載ではなく、私の言葉での要約とし、原本(メール・添付ファイル・共有ドキュメント)はすべて手元に保全しています。事実関係に争いが生じた場合には、しかるべき手続きの中で原本をもって示す用意があります。

時系列 ── 2023年10月から2025年6月まで

2023年10月末、先方の代表者から直接、打診をいただきました。 約2週間後の11月13日に初回の打ち合わせ。続く打ち合わせで、法人のビジョンについて長時間の説明を受けました。
ここで一つ、書いておくべきことがあります。この打ち合わせにおいて、私は「パーキンソン症候群(当時の診断名)と診断されているので、検討材料にしてください」と口頭でお伝えしました。 議事録や書面には残っておらず、これは私の記憶に基づく記載です。その場には先方の複数名が同席していました。私の病歴は前稿でも書いたとおり公開している事実であり、隠す理由も、いま偽って足す理由もありません。プロジェクトの入口で、私は自分の条件を検討材料としていたことを記録しておきます。
2023年12月4日、私は要件定義の作成に着手する旨をメールで表明しました。 以後、要件定義書を複数回改訂し、2024年1月31日、代表者から「概ねこの内容でお願いできたら」との承認をいただきます。同日、私は「ではスケジュールと予算をご提案し、契約手続きに進みます」と返しています。
つまり、契約の約16か月前に、プロジェクトの骨格は双方合意のうえで固まっていました。
承認を受けて、2024年2月は当方が企画書の制作にあてました。3月1日、リブランディング企画書(リブランディング・Web構築・デジタルマーケティング・広報領域の概要)を提出。「忌憚のないご意見を」「ご説明の機会を」と添え、提出が遅れたことへのお詫びも書いています。この提出への応答は、当方の保全する記録上、確認できません。次の動きは約4か月後の6月27日、打ち合わせでした。
この打ち合わせを受けて、7月5日、概算スケジュール・見積書一式を送付。 7月19日、代表者から「この方向で進めたい。ただし法人内の決裁プロセスが必要になるので、あと少し時間がほしい」との返信をいただきました。私は「承知しました。契約書など必要な手続きがあればご教示ください」と応じています。
その後、連絡は途絶えます。約3か月後の10月10日、進捗を伺ったのは私の側からでした。 これにも応答はなく、再始動は翌2025年2月。先方広報のご担当からの連絡で、会食の形で協議が再開されました。打診から数えて、この時点で1年4か月が経過しています。
再始動後、私は2025年3月に法人内イメージ調査の設計(設問設計、部署間の認識差の把握、実施手順)を、4月にコーポレートアイデンティティ作成資料を共有ドキュメントとして提出しています。このとき先方は「契約締結に先立って調査を進めることに問題はないか」と丁寧に確認してくださり、私は「問題ありません」と応じました。4月中旬には、先方から資料受領の確認とともに、法人の最新データが返送されています。
そして、もう一つの記録があります。2025年4月15日、共有ドキュメント上で、2026年が先方の節目の年にあたることを踏まえ、「そのタイミングにあわせて、リブランディングを進めていくのは良いかもしれない」と、私の側から書面で提案しています。 のちに解除通知が「本契約の目的」と呼ぶことになる「節目に向けたブランディング」という枠組みは、記録上、受託者である私のこのコメントに由来します。
業務委託契約の締結は、2025年6月1日。 最初の打診から約19か月、要件定義の着手から約18か月、代表者による要件定義の承認から約16か月が経っていました。
この間、「法人内で共有」「決裁のプロセス」とされた手続きについて、その内容や見込みの時期が当方に示されたことはありません。2024年3月の企画書、10月の進捗のお伺いには、応答の記録がありません。そして、約15年この仕事を続け、海外企業を含む契約も結んできましたが、承認済みの要件定義から契約締結まで16か月を要した例を、私は他に知りません。

この時系列が示すもの

この経緯は、2026年7月末の納期に間に合わなかったことの免責にはなりません。納期は2026年3月末に私自身が合意したものであり、間に合わなかったのは事実です。契約前の期間について先方に契約の義務があったわけでもありません。
そのうえで、二つのことが原本から確認できます。
第一に、業務の実体は契約の約1年半前から存在していた、ということです。 要件定義書(複数版・承認済み)、リブランディング企画書、概算スケジュールと見積一式、イメージ調査の設計、コーポレートアイデンティティ作成資料──いずれも契約前に提出され、先方はそれらを受領し、レビューし、あるいは打ち合わせの題材としています。「契約前から成果物のやり取りが成立していた」ことは、先方自身の書面が裏づけています。前稿で見た「検収に至った成果物はない」という(後に撤回された)整理が実態からどれほど遠かったかは、契約前からも測り直せます。
第二に、この19か月の停滞の節目は、先方の側にありました。 理由が示された場合と、示されなかった場合があります。2024年1月「法人内で共有して改めて連絡する」。2024年7月「法人内の決裁プロセスが必要、あと少し時間を」。一方、2024年3月の企画書提出から6月末の打ち合わせまでの約4か月には、理由の説明も応答も、当方の記録上、確認できません。見積提出のあとの約7か月も同様で、その間、進捗を尋ねたのは受託者である私の側でした。当方の側にも、企画書の制作にあてた約1か月があり、提出時に遅れを詫びています。それを差し引いても、私の側の応答は、打診から2週間で初回打ち合わせ、承認の当日にスケジュール提案の表明、依頼から数日での資料提出と、記録上、速いものでした。

残された問い

解除通知は「納期まで2か月を切って間に合わない」ことを、契約の目的を達せない理由として挙げていました。契約以降の時間の話としては、それは成立します。
しかし、プロジェクト全体の時間を原本で辿ると、数字はこうなります。打診から契約まで19か月。手が動いていた区間には成果物の日付が並び、空白の区間には、「法人内で共有」「法人内の決裁プロセス」という先方の言葉が残っているか、あるいは何も残っていません。契約から解除までは12か月。「時間が足りない」は、あわせて32か月のうち、最後の2か月だけを指した言葉でした。
そして、その「間に合わせるべき期日」は、もともと私が提案したものでした。なかなか前に進まない計画に、動かせない目標を置くことが、進行の助けになるとも考えていました。自分で提案した期日に自分が間に合わなかったという事実は引き受けます。そのうえで、2025年6月にようやく署名した時点で、私に病気の進行による焦りがなかったとは言えません。それでも1年あれば、経験的には十分終わるはず、と。
この時点での私に、断るという選択肢は、実質的にありませんでした。契約のないまま19か月が経ち、要件定義、企画書、調査設計と、相応の成果物を積んでいました。ここで降りることは、そのすべてを宙に置いて去ることを意味します。何より空白があっても降りるための合理的な理由がありません。
誰かに強いられたわけではありません。ただ、契約前の期間が延びるほど、受託者の側から降りることは難しくなっていく、そして病気は進行する──これは個人の判断力の問題である以前に、構造の問題です。
端的に言えば、私は待たされることに、慣れてしまっていました。4か月の沈黙も、7か月の空白も、二度目には驚かなくなっていた。催促し、応答がなく、それでも次の成果物を用意する──それがこの仕事の平常になっていました。
慣れは、判断の代わりをします。その点において、私の今までの経験にはあまり無かったことで、病気の進行と共に迂闊だったのだと思います。
異常な時間を測る物差しは、待っている本人の中で、最初に狂います。それは、また別途検討する制作プロセスにおいても現れています。
この配分を責める意図はありません。ただ、時間の不足が契約を終える理由になるのなら、その時間の帳簿は両側から開かれるべきです。
本稿は、その帳簿の、当方から見える側です。