人生における点と線

スティーブ・ジョブズの死からもう10年とのことだ。僕にとって印象的なのは米スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチだ(多くの人にとってもそうだと思うが)。そこでジョブスは、人生において多くの点があり、それらは後からしか結び付けられないと語っていた。

Again, you can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something – your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.

「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳: 日本経済新聞


言われると、僕も思い当たることがある。

子供の頃は絵を描くことが上手だったが、それでもずば抜けているというほどではなく、クラスでは上手な方といったくらいだった。僕の表現は幼い頃からミニマルな傾向を持っていて、残念ながら美術教師とは相性がよくなかった。教師は要素を省くより付け足すこと、静謐なものより派手な「子供らしい」「明るく元気なもの」を望んでいた。教育としては間違っていなかったと思うが、僕は早い段階で図工や美術は「自分とは別物」と考えるようになって、情熱を注がなくなった。

それとは別に、僕はコンピューターとテレビゲームが好きだった。パソコンには無限の未来を感じた。同様にプログラミングにもとても夢を感じたが、パソコンのテンキーを使ってキャラクターを上下左右に動かす程度のプログラムしか作れず、100行にも満たないくらいでギブアップした。その複雑さに小学生の僕の理解はついていけなかった。

テレビゲームも好きだったが、僕よりゲームが上手い子はもちろんたくさんいた。

僕は、何もかも中途半端だった。

しかし後年僕のデザイナーとしての基礎を形作っているものは、その「少しだけ」絵が上手であるということと、デジタルに対する「人並みな」好奇心・知識を組み合わせたものである。

もしも僕が、プログラマーになるくらいプログラムに卓越していたら、デザイナーとしての僕はない。
もしも僕が美術大学に行くくらい、画業に卓越していたらデザイナーとしての僕はやはりないだろう。
何かを極めていたら、僕は「そこで」終わっていたかもしれない。

ただ遊んでいるだけのように見えたテレビゲームは僕の中に「どう動けば気持ちよく操作できるか」「人はイメージを理解でき、楽しいのか」といったUI、UXの感覚を根付かせた。

誰にでもそんな経験があるのではないか。

テクノロジーが当時のままでは、僕はデザイナーではなかっただろうし、そんな未来を予測した人も少ない。新しいテクノロジーがあって、僕は現在デザイナーとして成立している。昔、意味がわからなかった点がつながって線となり、今の僕に続いている。

だから、子供や若い人はもちろんのこと、大人だってやりたいと思った時にやりたいことをやって、中途半端で投げ出すのも悪いことではない、やるべきだと言いたい。中途半端に終わった経験を綯い交ぜにしたものが、今の僕を形作っている。

ジョブスが語るように、カリグラフィーの講義を受けたことがmacに美しいフォントを搭載するきっかけとなったかもしれない。だが、その時のジョブスはどこにでもいる好奇心本位の潜りの生徒だったし、その後、熱心にカリグラフィーの技術的訓練をしたわけでもないだろう。カリグラファーを目指さなかったのはおそらく賢明だった。

未来は予測できないのだ。新たなテクノロジーがあなたの弱点を補うかもしれない。全く関係ない職種でその「ちょっとした知識や経験」が重宝されるかもしれない。

人生においてやりきったこと、やり遂げたことというのは、その人の評価を形作るが、同時にもう終わってしまったことだ。個人の独創性やオリジナリティー、さらに言えば未来の可能性というものは、むしろ中途半端に済ましてしまったことや失敗したこと、未完に終わった事の方にあるように思う。

デジタル技術の進歩がなければ、僕はデザイナーとして成立していなかった。道具の進歩が、デザインという概念を拡張したのだ。だから「何者かになれなくとも楽しいからやる」というのは、大切なことだと思う。点というのは、現在進行形のその時々に起きたこと、好奇心の結果であり、線というのは未来に向かって、それらが繋がるということだ。

空にある多くの星を結んで、神話の物語を描いた大昔の人々は、本当に偉大だ。それらは全く目に見えないけれど、そのように言われると、星空に神話が読める。我々の空にはずっと物語がある。空に星座をみること、点をつないで線にすることで物語を紡ぐのは人間の想像力の賜物であり、本質的な能力なのだ。

人生は同じように、多くの星のような輝きに満ちており、それらを結んで有意な意味を見つけ出すのは、個人個人なのだ。たとえ結べなくとも、多くの星が輝く空は、美しい。星は自分で結んでよいのだと思う。