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「普通の人」であるデザイナーとして

a href=”https://designist.net/blog/”>2020東京オリンピックと「日本デザイン界の大きな時代遅れ」
(中西元男公式ブログ https://designist.net/blog/ より2015/9/1)
上記のブログは頷ける部分がとても多いものでした。
一般の方との違いは、デザイナーは「ずっと以前から佐野研二郎氏を知っていた」に尽きるのかもしれません。しかしデザイン・広告業界の仕組みにずっと疑問を抱いていた部分もあって、業界組織としての自浄能力のなさや批判的思考の欠如、それ故の事なかれ主義、今回の問題にはそれがよく出ていると感じます。選考委員に同じグラフィックデザイン団体に所属する人達が名を連ねれば、たとえ目隠ししていても、デザインの「癖」が似ている人が最終選考に残るのは必然とも言えます。その意味では、選考委員の選出に既にある種の意図があったと言われても仕方ないのかもしれません。
僕もデザイナーとして業界の仕組みの中で生きており、「こういったものがいいものなんだ」とずっと教えこまれ、時には感嘆し、時には反発を感じ、あるいは自分でそう思い込もうとしていました。いずれにせよ、そういったものとの関係性で自分の立ち位置を考えなければなりません。

佐野研二郎氏は、そういった業界の仕組みの中心にいた人です。
ただ仕組みに乗っただけではない、様々な問題を露呈しつつ確かに地力のあるデザイナーだということも「デザイナーとして」今更ながら主張しておく必要があるかもしれません。
今、デザイナーはアイデンティティの危機に直面しているのだと思います。
その恐怖は有名なデザイナーではない、その他大勢の無名デザイナーにこそリアルに感じられるのではないでしょうか。ネットばかりではなく世間的に良識あるとみなされている人達からも批判があり、そのことに傷ついた人もいるでしょう。

「2020年東京オリンピックは、デザイン思考やシステム思考においては、50年前の東京オリンピックよりむしろ遅れているのではないでしょうか?」
(同上 中西元男公式ブログより 2015/9/1)
デザイン界の天皇と言われた亀倉雄策。数年前、亀倉雄策をはじめ国内外の様々なデザイナーと付き合いがあった方から「今のデザイン界には大デザイナーは一人もいない」と言われました。私はその意味をずっと考えていました。

1964東京オリンピックのエンブレムは、本当に美しく、完璧であるがゆえに超えられない墓標のようでもあります。テクノロジーが進化して教育が行き届いて技術レベルもあがり、何もかもとても便利になって、デザインの環境も充実した。
当然私たちのデザインは進化したのかと思っていたら、そんなことは全くなかったのではないかと疑いたくなります。前に進むために、何かを反省しなければならないのではないかと感じます。

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