誰か良いデザイナーいませんか—これだけインターネットが発達し、マッチングサービスも氾濫する現在においてもそういった言葉は聞かれます。端的に言って、良いデザインとは何か。デザイナーを測る物差しとは何か。
道具が適切に使われるためにはちょうどよいサイズ、場所、色などを考える必要があります。醤油をたらす小皿がコップのように深くては、その機能を果たせません。逆に言えば、小皿はそれと意識せずとも「醤油をたらす」という動作を誘発します。
小皿は、「水を飲む」より「醤油をたらす」という動作の方に距離感が近いのです。ゴミ箱に「ちょうどペットボトルが入るくらいの穴」があいていれば、言葉で説明されていなくとも、ペットボトルをそこに捨てるでしょう。私達が無意識に行っている行為は、周囲の環境やモノによって導き出されている側面があります。そこには文化的歴史的な背景があり、国や地域によっても異なるでしょう。
これはデザインにおいて本質的な問題を提起します。デザインとは人と人、人とコトの距離感を調整するモノだからです。
例えばブランディングとは、ターゲットとの心理的な距離感を調整するものです。洋服においては、それを身につけるということが価値観の証明になるということ。羨望の眼差しを受けるということ。誰かがイギリス王室御用達ブランドのオーダースーツで身を包んでいたら―それはあるシーンにおいては「圧倒的な距離感」を演出するツールとなるでしょう。
もちろん誰しもが圧倒的な距離感を必要とするわけではありません。だから、適切な距離感に調節するもの、端的に言って「あなたのかゆいところに手が届くもの」が良いデザインと言えます。大切なのは一流のブランド品を選ぶということではなくて、あなたの「かゆいところはどこか」という問いの設定です。
ラグジュアリーブランドを見て「素敵」と感じても、実際に袖を通す人はごく一部です。広告が、射幸心や消費のイメージを煽るというのは、前時代的な発想です。それが世の中全体のデザイン観を作ってきたことは否めませんが、そういった意味でのデザインを必要としている人達は最早ほんの一部です。
デザインという概念が拡張された今、それはデザインの一部分にすぎなくなりました。デザインがあらゆるところにあるということは、新しいタイプのデザイナーが生まれ、これまでデザイナーと呼ばれた人種が淘汰されていく部分も出てくるということです。