デザイナーだけがデザインをするという幻想

旧エンブレム問題についての調査報告をうけて、ここにきて審査員の一人がブログを更新して、ネット上で話題となっています(誤解を招いて広めることは当人の本意ではないことや状況を鑑みてリンクは付けておりません)。
正確には、話題になっているのは本人が更新したブログを受けた記事ですが、記事内容は当人の意に反するもので、言葉を借りるなら『本人無許可の非公認記事』ということになります。ただこうして誤解を招いて広まっていくことは状況の複雑さを考えると仕方ない一面があり、当人の反応もまたそれらを十分に予測(というより予備)されていたものだと考えております。

■ 自己批判、自浄能力の著しい低下

エンブレム問題について業界から批判の声が上がってこないのが本当に残念だったので、勇気ある決断をされたと考えております。ただ事情が複雑で、どちらか一方が正しいとは判断しがたい状況です。
「選考に関してヤラセがあった」というのと「エンブレムはパクリだ」というのはまた別問題です。さらに「業界全体に癒着がある」というのはもはや別次元の話です。組織委員の問題なのか、デザイナーが含まれる選考委員の問題なのか、業界全体のモラルの問題なのか。複合的な要因の中で、関係者の様々な本音や建前が、また状況を複雑にしています。
ただ問題の根底には、デザイン業界の「自浄能力の著しい低下」が大きな要因としてあるように思います。たまに表に出てくるデザイナーのコメントを読んでいると、「新しいエンブレムは大衆におもねることはやめて欲しい」「プロにはプロにしかわからない領域がある」という意見が根強いことにいささか辟易します(また、それに控えめに「いいね!」をするデザイナーたちがいます)。次によく見るのが「どうでもいい」「どうでもいいけど」という無関心を装うコメントです。
政治家の汚職や問題発言、失言などニュースで取り沙汰されて、外野から見ていると「どうしてそんな理屈になるのだろう」と誰しもが感じることだと思うのですが、現に今問題があるとされる業界に自分がいると、どういった思考プロセスを経て、そのような結論に至るのか理解できる部分もあります。
まず状況の複雑さが、責任問題の回避を可能にしていること。単純に、自分が不正をしたわけではないと考えていること。さらに多数のデザイナーは「自分たちは血の滲むような訓練を経たうえで『違いがわかる』人間なのであり、だからこそ『デザインをする』特権がある」という幻想にしがみついている、あるいはそのプライドを必死で守りに入っている自分たちに気がついていないということです。そんな既得権益はとうの昔になくなっている、あるいは最初からなかったにも関わらずです。

■ デザインはすでに民主化されている。デザイナーだけがそのことに気づいていないのではないか

コンピューターによるDTPの導入は「デザインの民主化」に大きく貢献しました。デザインができるという本質は「IllustoratorやPhotoshopが使えること」ではないのですが、同じくらい「1mmの間に10本の線を引ける」「フリーハンドで綺麗な円が描ける」ような技術ではありません。ただ、デザイナーだけがそのことを認められないのです。

今ではチラシや広告を誰でもデザインできる時代です。IllustoratorやPhotoshopではなくとも、ネット上の簡単なツールで作成することができます。「自分たちプロの仕事とは次元が違うものだ」と言うのはたやすいですが、それを一般に対して証明する手段をデザイナーは持っておりません。今黙っているデザイナーは本当に賢く真面目にデザインを考えてきた人達ですが、まさにその沈黙にこそ問題の根深さを感じます。「素人には口で言ってもわからない」というおごりが根底にあって「どうでもいい」という意見があり、不正も癒着もそういったところから始まるのでしょう。黙殺は批判や反論よりもずっとたちが悪いものです。

今回行われたのは、デザイン・広告業界からの「押し売り」という表現が相応しいものです。デザインには確かに言語化しがたいスキルがありますが、デザイナーはこれまでそういったことを説明していく労力を厭ってきました。まさに「職人技」としての領域であり、一般化されたビジネスというプラットフォームに当てはめる努力を怠ってきたということです。しかし、少なくともプロフェッショナルな仕事とは、「これがいいものだから、黙って受け取れ」と押し売りするものではありません。もしもデザインにそういった意味での「プロフェッショナルの領域」というものがあるならば、それは規模を小さくして、ごく一部の「デザインに理解がある」好事家のものになっていくしかないと思います。少なくともこういった国民的な行事や一般の人のためにデザインが役に立つことはなく、研究室の奥で実験という名の慰めを行ないながら、「あの人たちは何もわかっていない」と居酒屋でくだを巻いて、先細っていく産業となるしかないでしょう。