内容にすべて同意するわけではないですが、とても興味深く拝読させていただき、業界の末席に位置するデザイン屋として、思考を刺激される面がありました。
デザイナー佐野研二郎氏の諸問題について(2)デザイナー諸氏へ|橘川幸夫|note(ノート)
とても有り難い文章です。ネットの情報にお金を払う習慣はないのですが、二つ読んで200円払った甲斐ありました。
今回のオリンピックのエンブレム問題は、私はむしろ亀倉雄策から延々と続く、グラフィックデザインの系譜の、一つのターニングポイントだと考えています。デジタル世代がデジタル世代を選んだわけではなく、選考委員に名を連ねているのは、日本最大の業界団体においてグラフィックデザインの伝統を正当に引き継いでいこうとしている“長老”の方々だと思うので。そういった長い伝統に関わった人達が作り上げたスターシステムの延長線上に、今回の問題の一部があるということだと考えています。1964-2020というのは、そういった時間ではないでしょうか。
ご指摘されているようにネットの人たちは、そういったことには敏感です。デザインのことはわからなくとも、ほとんど本能的に。その意味では、佐野氏を擁護する人達と批判する人達は、お互いが批判あるいは擁護すべき本質的なポイントには目をつむっている(あるいは見えていない)という点において、まさに敵対的共犯関係にあります。
次々と出てくる“問題”に関しては、デザイナーとして正直ドキッとするようなものも出てくるし、言いがかりだなあと思うものもあります。ネットから出火した情報のスピードに、世間で良識あるとみなされている人々もわりと振り回されている印象もありますし、少し落ち着いた意見も見受けられるようになりました。
ネットで行われているような個人攻撃は本当に馬鹿げていると思いますが、だからこそ個人としての立場は明らかにすべきです。古き良き時代のような裏方に徹するよりも(それも悪い選択肢ではないですが、スターシステムに乗っかったデザイナーも実際には“裏方”の一人なのだと思います)、システムを一歩踏み越えて、デザイナーとしての立場やアイデンティティを明らかにする勇気こそ求められているのではないでしょうか。
私が佐野研二郎氏に期待しているのは、そういう姿だと思います。
■「ちょっと私も考えてみました」風のロゴ
「こっちの方がいいでしょ」という意図なのかわかりませんが、「考えてみました」風なロゴをぽつぽつと見かけます。「おっ、こっちの方がいいじゃん」という意見もあります。これは会社の中でデザインをしていても、本当によくあることなのですが、後出しされたものは一瞬目を引くという「クリエイティブは後出しジャンケンが勝つ」現象に近いです。
基本的にロゴというのは、ずっと使うものです。
クライアントに説明する際には、子供の名前を考える例によく例えます。会社や組織を代表する人にとって会社は子供、だと思いますから。
自分の子供の名前は誰でも必死で考えますが、その子が生きていくうちには「自分の名前ってカッコ悪い」「あの子の名前の方がかわいい」と思う瞬間があると思うんです。でも、そんなことをずっと考えて生きていく人は、あまりいないでしょう。時間が経ったら「自分は、自分の名前の方がいい」と思うのではないでしょうか。
ロゴもそういったものだと思います。究極的には、その企業なり団体なりの「こうありたい、こうあってほしい」という理念や理想を具象化したものです。
組織や概念的なものは「顔」を持ちません。そういったものに顔をつける、ということでもあります。
ちょっと見てくれがよくて華やかであるとか、当世風とか、そういうことではないのです。誰だってそうだと思いますが、人は人生のパートナーや仕事仲間を、顔の良さで選びません。華やかな女優さんでもずっと生き残る人は、必要とあれば美貌さえ捨てる覚悟をもつ(あるいは捨てた)、芯から逞しい人でしょう。
その人と一緒に成長していける、逆境においても背負っていける、極端に言えば、形が不器用でもそれだけの思いや理念があることが大切なのだと思います。ネットで見ず知らずの人が素敵な名前をつけてくれても、それをそのまま子供の名前にできる人がいるのでしょうか。
ロゴは、やはり「作ってみました」風なものでは、至らないと思うのです。