どこまでが剽窃で、どこまでがリスペクトなのか、難しい問題があります。
結構意見を求められるので、やや雑感気味ですが、製作者の主張をうけて、クオリティの話は置いといて、デザイナーとして何が似ているのか似ていないのか考えてみました。そもそもがパラリンピックのロゴと合わせて考えるべきだと思うのですが、「パッと見て似ていると感じる人もいるだろうが、パクリではないやね」というのが率直な感想です。
まずエレメント(構成要素)としては特殊なものではなく、正円、正円で切り抜かれた形と直線で構成されております。ロゴ右下にある円で型抜きしたグレー(シルバー)部分が「T」と読ませるのを少し難しくしているかなと思いますが、今時めずらしいというくらい「率直な形」です。構成としては、日本の過去のグラフィックデザインと近いものだと思います。
人によっては、むしろ色彩が似ていると感じるかもしれません。
金色や赤、黒などは日本らしさを意識したものなので、スペインのものと似ているというのは違うと思っています。スペインのものは東日本大震災の際、寄付を募るために作られたアプリとのことで、むしろスペインのものが日本的な色使いとして、参照されたのではないでしょうか。
というかスペインの件は、こういった話が真面目なことのようにトップニュースに上がってくることにちょっとびっくりするのですが。
一般の方々がこういった意見を持つのは仕方ないとしても、新聞社やメディアなど情報を発信するプロフェッショナルな人々が「これ、どうなの?」という記事を載せています。
途中過程で、自社の、あるいは関係各社のデザイナーにちょろっとでも話を聞くことがあれば、これをでかでかと扱おうという発想にはならないんじゃないんでしょうか。
政治の話は政治の専門家に、映画の話は映画の専門家にまず訊くと思うのですが、デザインは素人がドヤ顔で語っても説得力がある。そういった意味では、デザインはまだまだ社会的信頼感のある言論が育っていないんだと感じます。
それをさぼってきたのはデザイナーだという認識はありますが。
TOKYOなど文字のタイプフェイスについては専門家が解説されているので、そちらを参照された方がよろしいかと存じます。
製作者から説明があったようにエレメントを分解してアルファベットとしての文字機能があること、装飾的な使用ができることは、形のコンセプトとして大きな相違点ですので、大手メディアはその辺をもう少しクローズアップすべきだったと思います。
同エレメントを使用して、パラリンピックのロゴも合わせて考えられているというのも、大きな特徴だと思います。
シンプルでややクラシックな平面構成と色使いは、故・亀倉雄策氏を中心とした日本デザインの歴史を意識されているのでしょう。
個人的にはエンブレム製作者の過去の成果物と比較して「らしくない」仕事にも見えますが、日本とそのグラフィックデザインを作り上げてきた先達たちに対するオマージュとして成立しているものだと思います。
逆に、海外のデザイナーにはそういった文脈が読み取れないから、模倣のように見えるのかもしれません。
我々と同じように見えているわけではない。
これは大事な視点だと思います。
ベルギーの劇場のロゴもTとLが素直に読めて、それらを円の中で綺麗にまとめたよく出来たロゴだと思いますが、本当に大切なことはコンセプトと、それが使われる場面ではないでしょうか。
○構成要素が、直線、正円などシンプルで応用性があるものだということ
○色彩は、日本の伝統色というべきものであること
○見た形が似ている似ていないというより、エレメントを動かすことによって文字や装飾になるなど可変的なタイプフェイスであり、設計思想が異なる
○日本のグラフィックデザインの歴史的な背景を背負おうとしていること
○そもそも使われる場所が、互いの利益を害するとは考え難いこと
説明についての初動の遅さや、危機管理の甘さ、それらの責任の所在含めてデザインだと思うので、そこは今一度問われてもいいと思います。ごく単純に考えてもアルファベットのタイプフェイスを採用し、世界中に向けて発表すれば、類似したデザインはほぼ確実にありえますし、法的には問題なくとも火種は残ります。しかし、意匠そのものが盗作とは言い難いというのが私の見解です。
最終的な出来上がりが似ているから盗作、というのはマンガでもなんでも無理があるんじゃないでしょうか。
これはデザインに限らないと思うのですが、剽窃(盗作)というのは想像以上に難しいから、やりたくありません。
剽窃はオリジナルに確実に劣るからで、剽窃がオリジナルを超えるというのは、すでにコンセプトが全く違うということだと思います。
「デザイナーだからわかる」的な経験論というより感情論を展開する人々がいて、かえって火に油をそそいでいる感もあります。
そもそもが訴えているのもデザイナーなのですから、先方のデザイナーとしてのアイデンティティも、日本のスターデザイナーと同様に尊重されるべきでしょう。
自分の考えを社会に対してアピールしコンセンサスを取ろうとするのは、個人の自由です。
自分が以前に作ったものとよく似ていると感じるものが、世の中で華やかな脚光を浴びている。それを、外野にいる人々が黙って見てろというのであれば、とにかく主張する欧米の文化とくらべて、いかにもこの国らしい現象なのかもしれません。
追記:先日、オリンピックのロゴとは別の、エンブレム製作者のデザインにおいて、あからさまな盗用が見つかりました。よく探したもんだと思いますが、オリンピックのロゴとは別件だと考えていますので、特に内容は変更しておりません。
今回新たに問われているのは、業界全体のモラルだと考えています。エンブレム製作者が自分で行ったのか、部下が独断でしてしまったことなのかはわかりません。しかし、業界全体を主導するような立場にある(あるいは、そう位置づけられてもしかたない)デザイン会社でそういった事件があったということは、それが業界全体の体質と見られても仕方ないのではないかと思います。私自身、そういったことをするデザイナーを見てきました(不思議と?そういったアイディアは通らないものですが)。
これまでデザイナーは社会的責任を問われるような、「目立つ」立場に立つことがほとんどありませんでした。いわゆるパクリを見かけてもデザイナー同士にしかわからず、「あぁ、パクったんだな」というくらいで済まされてきました。今回のような本当の意味で公共性のある仕事で矢面に立つと、業界内の出来事では済まされない時代になったということだと思います。マスコミ慣れしていない相手を「狙い撃ち」するような記事には辟易しますが、グラフィックデザイナーが企業や業界の庇護を離れ、本当の意味で「自分の行動に責任が持てる社会人」になり、自分たちの意見を発信できるかどうかの瀬戸際ではないでしょうか。
デザイナーとして、市井に暮らす一般の方々に対してきちんと説明ができる、納得してもらえるデザインを提供する。当たり前ですが、それがデザイン全体の目指すべき方向性ということだと思います。
私個人としては、エンブレム製作者の過去の仕事には敬意を抱いております。エンブレム製作者が語った「デザインのコンセプトは、親戚のおばちゃんに電話で伝わるくらいじゃないとダメ」という言葉は、私がデザインを考える一つの目安であり、再び立ち上がってきてくれることを望みます。
※個人名は匿名といたしました。