Categories: essay

人間関係を消耗品として捉えるのは、そんなに悪いことだろうか。

私達は「友達と仲良く」と子供の頃からしつこいくらい教えられて育ちますね。

多くの漫画や映画は、消えない友情や愛情をベースに描かれたりします。
愛情を普遍のものとして扱う物語は、相変わらず作られては消費されています。

しかし、友情の尊さを謳うコンテンツが今も昔もたくさんあることそのものが、逆説的ながらそれに限界があることを暗に示しているのではないでしょうか。
人間と人間の関係っていつか終わっていいものだし、そうやって捉えた方がいろんなことにポジティブになれるんじゃないかと思ったりします。

多くの人と同じように僕にも20年来の友人がいますし、とても大事な人間関係です。
大げさにいえば、僕という人間性を救済してくれたと言っても良い。
でも学生時代に毎日会っていたのが、社会人になり年に四・五回になる。これくらいのペースで落ち着くかなと思ったら、子供もできて一年に一回も会わないこともある。
僕は大げさにいえば、死ぬまで会わないのも良いかなと思ったりします。
そもそも会う回数で友情を測るわけではないし、困っているなら助けたいですが、便りがないのは元気な証拠かもしれませんね。

新しい知己を得る。
お互いに提供できる愛情なり友情なり、心の交流が生まれる。
それは例えば一日一回会っていたら、百日で消えてなくなる。
でも一年に一回だったら、百年続く関係になる。
もしかしたら、一日一回会っても百年幸福に続く関係性もあるかもしれない。

でも、どれが優れているという話ではなく、それ自体に優劣はないです。
少なくとも、大抵は無理をすれば続かないということくらいは、覚えておいても良いんじゃないでしょうか。
多くの場合、過度の期待がかけられているように思います。

長く続く友情や愛情と、途中で消え去ったものの間に優劣はありませんし、我々の人生の多くの瞬間は、ドラマチックではなくとも、わかりやすい友情や愛情に満ちていなくとも価値がないわけではないです。

一瞬でも一生でも、愛情です。
「背中にそっとありがとう」と言えれば良いんじゃないでしょうか。

奥の細道の序文に
月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也
とあります。

私は時間と同様に友情や愛情も、人の人生を「行きかふ」「旅人」として捉えるのがしっくりきます。

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