人は、誰かが問題をシンプルにしてくれるのを待っていると言えます。本質的に複雑なことをシンプルに見せるのは技術であり、使い方を誤れば詐術です。イメージを表現するということは、その危うい橋を渡ることもあります。
イメージは論理に先行する
例えば、上のようなイラスト(に類するイメージフォト)は人工知能に関するトピックにおいてちょくちょくみかけます。多くの人はこのようなビジュアルを目にするだけで、「このニュースは人工知能に関する話題だ」と一瞬にして理解するでしょう。
しかし、このビジュアルそのものが人工知能の概念を伝えるものとして妥当なのか、ということを考える人はほとんどいないと思います。私は医療など複雑な情報をデザインする専門家として、人工知能を扱う外資系企業のプロモーションに携わった経験がありますが、こういったイメージは専門家からは全く好まれませんし、あまり的を射たものでもありません。
アメリカのオバマ前大統領が語った人工知能に関する話は、とてもよく理解できるものでした。
バラク・オバマが伊藤穰一に語った未来への希望と懸念すべきいくつかのこと(WIRED 2016年)
多くの人が想像する人工知能のイメージとは汎用AIであり、今社会的に発展しているのは一つの分野に特化した専用AIであることがわかります。
しかし、的を射たものではなくとも我々の論理というものは、こういった先行するイメージを中心として組み立てられてしまうものです。無意識下、一瞬で刷り込まれたイメージというものはとても強烈で、瓢箪から駒のようなことすら起こりえます。現在、人工知能がバズワード化しているのも、専用AIの記事においてさえ、そこに汎用AIのような万能イメージを多くの人が読み取っているからです。
医療分野の情報デザイン
医療関連の情報デザインにおいても、一般の方と専門家のイメージの差というのは存在し、そこを埋めるには医療職の専門性とはまた異なるコミュニケーションにおける専門的な知見や経験が要求されます。多くの人は論理や数字の精度には厳密さを求めますが、イメージの精度を高める作業は怠りがちです。「論理・数字」と「イメージ」における情報精度差は、間違いの許されない情報を扱う際には注意が必要です。
イメージを解釈する権利は鑑賞者の側にあり、読み手に解釈の多様性を与えないイメージは、広がりません。みな常識を共有しているようにみえて、各々の想像の中に生きていると言えます。
小難しいことを言っても誰も聞いてくれないけど、わかりやすく言うと誤解されて広がってしまう。情報が複雑かつ完璧な精度が求められる場合は、痛し痒しですね。情報をピンポイントでホールインワンさせるのではなく、そっとグリーンにのせてピンの側に置いてくるイメージでしょうか。