医療分野におけるディレクターに求められる能力は、独自性の高いものです。
私は医療系広告代理店でアートディレクターとして勤務した経験と、老舗大手のエディトリアルデザイン会社に出向するような形で、カルチャーやファッションなどのエディトリアルデザインを中心に仕事をしていた時期があり、それぞれ一長一短であることを肌で感じておりました。結論から言うならば、グラフィックとエディトリアル・Webなどすべてのクリエイションを本当に高い水準で両立させる人はおらず、特に情報量が多いエディトリアルデザインとアイディア一つで勝負できるグラフィックデザインを横断して評価できるようなカテゴリそのものがないと考えています。
経験的には、広告など単発のビジュアルが得意なデザイナーに、雑誌などページもののエディトリアルデザインをお願いするのは、逆の場合より「危険」です。サッカーで例えるならば、エディトリアルはゴールキーパー(GK)、グラフィックはフォワード(FW)といった感じでしょうか。GKがFWをやった場合、点は取れなくても失点もしませんが、FWにGKを頼むとプロスポーツとして成立しません。どちらがより危険かは明白です。
膨大な情報を整理するデザインと、一つのアイディアに絞り込むデザイン
あるいは広告グラフィックは短距離走で、雑誌エディトリアルはマラソンの長距離走と言えば、わかりやすいのではないでしょうか。中学生くらいまでは短距離走も長距離走も一番になれる人がいると思いますが、レベルが上がっていくと両立は難しいものです。広告表現になれたデザイナーが雑誌エディトリアルをやると1000mを走るのに、100m走を十回こなすような走り方をしてしまうのです。またWebにも独自の領域があり、それぞれ異種目競技というべきものです。
グラフィックとプロダクトはワンアイディアで成立する部分があり、近年では3Dプリンタなど技術的な進歩のお陰でより親しい関係にあるといえます。その意味では同じアプリケーションを使うにも関わらず、エディトリアルデザインは、グラフィックより建築に近いといえるかもしれません。ウェブサイトのデザインについては、私はよくウェブは2.5次元という言い回しをします。旧来の紙媒体の情報設計に慣れたデザイナーにはこの感覚がなかなか伝わらないことがあり、モニタなど画面の見える部分で完結するデザインを想定しがちなのです。その見えない部分の広がりを表現するためにそのような言い回しを使います。
医薬品の非常に情報量が多いものを「決して間違いがないように」「主観を入れずわかりやすく」整理する反面、「一月や一年で消費されないコンセプトを持った」広告など一枚のビジュアルとして成立させるデザインスキルが求められるのです。市場をリードする一部の人間に理解されればよいわけではなく、新しい手法、古い手法を取り混ぜた文字通りすべての人が理解できるスキームを構築する必要があります。こう表現するとデザインとして王道のようですが、一流とされるデザイナーでも医療分野の経験が乏しい者が実際に行うのは相当難しく、状況を整理するため私が呼ばれることもままあります。
医療デザインに求められる能力とは、十種競技のアスリートのようなもの
何故なら医療デザインに携わる者は、短距離走と長距離走を高いレベルで両立させる必要があるからです。専門化、分業化が進みデザインからプロモーションという機能だけを取り出すことに長けた現在の業界では、適任者を探すのは相当難しいというのが実感です。概してプロモーションに長けたデザイナーは、本来的に複雑であるものを今まで培ってきたノウハウで、極度に単純化してしまう傾向があるからです。お酒やお菓子などの嗜好品、洋服を売ることに馴れて実績を積んできたデザイナーに突然、複雑かつ間違いが許されない医薬品の情報を過不足なく扱えというのは難しい話です。
通常、広告やポスターなどは一部の好事家を除けば、飽きられて消費されることが大前提で、古い言い方をすれば「ポスターは0.5秒が勝負」などと云いますが、医療デザインにおいてはそれだけではなく、整理された情報を一つのビジュアル言語として「読み込む」ことができ、Webなどその他のツールと共に複合的に成立させる能力が求められるのです。
それは例えるならば、100m走やフルマラソンという単一のカテゴリの中で活躍する人ではなく、十種競技(デカスロン)のアスリートとでもいうべきオールラウンドなデザイン能力です。デカスロンのことをキング・オブ・アスリートとはよく言ったものですが、医療デザインにおいてもグラフィックで一番、エディトリアルで一番というより、すべてを同水準でこなし目配せができる能力を持つ人が優秀です。その意味で、私は自分の能力を全く「平均的なデザイナー」だと考えています。
それに加え、大学教授やドクターなど医療分野の人間とも成立する高いコミュニケーション能力が要求されます。医学的な専門性が高いライターとチームを組む際には、クリエイティブをデザイナーが主導し、プレゼンしなければならないケースもままあります。その意味では、医療分野のアートディレクターは、そもそもクリエイティブディレクター的な要素が強く、コピーライターや営業の後ろで黙って座っているだけではないのです。
あらゆる職業においてそうですが、コミュニケーションは基本にして最も重要なスキルです。「デザインやクリエイティブの外側には興味がないし、わからない」といういわゆるデザインオタクは不要です。医療分野においてはデザインに理解がある「優しい」人達だけを相手にするわけではありません。複雑な問題はデザインの外側であることがままあるのです。私はデザインの専門家ではありますが、医学・医療の専門家ではありえません。「問題を一挙に解決する魔法」ではなく、専門家たちと常にコミュニケーションを図りながら、ある種の妥当なポイントをコツコツと探していく労力と知性が求められます。
既存のカテゴリは業界の内向きのもので古くなっており、私は「医療デザインという観点からコミュニケーションに携わり、クリエイティブディレクションを行う者」としてデザインディレクターなのです。