「AIが人類の仕事取る」を検索すると、たくさん記事が出てきますね。
まあ増えたものですが、AIが人類の仕事を取るに対して「そんなことはないよ」って意見が多い感じします。
でも私は最近、これ結構あるんじゃない?仕事なくなっちゃうんじゃない?って思うのですよ。
私は科学や医学の専門性には程遠いですけど、友人や家族が、病気や健康について話しているの聞くと「うん?」と疑問に思うことが多いです。
この奇妙な感覚はなかなか説明しづらいのですが、筋道立てて考えれば自明のことなのに、誰もそのように考えようとしていないことに起因するのだと思います。
むちゃくちゃ勉強しなくても理解できることなのに、医療や健康情報ってそもそも誰も筋道立てて考えないし、話しても聞いてないんですね。
「風邪ひいてつらい。抗生物質もらっておこうかな」
「風邪だったらウイルスが原因で、細菌とは大きさや仕組みが異なるから、抗菌薬は効かないよね」
「あ、そうなんだ」
【参考】細菌とウイルス | 感染症の基本 | 一般の方へ | かしこく治して、明日につなぐ~抗菌薬を上手に使ってAMR対策~
…おわかりになりますか?
この「あ、そうなんだ」がくせ者なのです。
我々はこの手の話を聞いていないし、自分で調べることもない。
それ自体(抗生物質)にリスクとベネフィットがあるとは普段考えづらいのです。
【参考】薬剤耐性菌で年8000人死亡 国内で初推計、影響深刻(写真=共同):日本経済新聞(2019/12/5 10:00)
常識とされていることへの疑問は、予め疑っている人しか聞く耳を持ちません。
それだけなのです。
これって科学の情報全般に言えるんじゃないかと思います。
例えば電卓はどうでしょうか。
我々は電卓が、正確な計算結果を教えてくれるのは当たり前だと考えています。
でも、その過程や仕組みには全く興味ないですよね。
我々は身近な科学を仕組みも知らないのに、電卓のように自明なものだと捉えがちです。
安心と利便性を求めるから、そういうものを「信じよう」とします。
過程に興味を抱くのは専門家だけで、普通の人は結果にしか関心がありません。
正確な情報の広まりが遅く、ショッキングな情報の拡散が早いのは、まさに不正確でも過程をすっ飛ばすからだと思います。
早さはとても便利なものです。
身近な科学を自明のものとして考えてしまう
「宇宙は謎に包まれている」と言われてみんなが頷いても、「健康は謎に満ちている」と言ったらなんかおかしいですよね。
でも宇宙の話より健康の話は身近なだけで、原理は同じではないでしょうか。
また「宇宙は怖い」のはわかるけれど、「健康怖い」という人がいたら「まんじゅうこわい」みたいな落語のようです。
そこには理性的に分析するのではなく、信じるか信じないかという二極化があります。
私が思うには我々が生きている社会は、(特に身近な)科学を信頼というより信仰しているってことです。
多くの人が、株価は不安定で先が読めないけど、科学や医療が身近であればあるほど、自明のものとして信じています。
なぜスイッチを入れれば電灯が点くのかは知らない。
なぜ水道から蛇口をひねるだけでいつでも水が出るのか知らないし、興味もない。
薬を飲めば風邪は治ると思っている。
便利だし理由を考える必要もなくて、スイッチを入れると電灯が点くと「信じている」。
そこに至ると思考停止してしまうのです。
我々はすでに科学という「とても便利なもの」への信仰に、身体や人生を捧げているのだと思うんですね。
「科学の子」というのは、我々におされたスティグマなのではないかと。
「お医者さんが言うから」「先生が言うから」「専門家が言うから」「コンピュータとデータが出した正確な結果だから」思考停止してしまうのです。
SNSやネット広告が我々の意識を操っている、少なくともその潜在能力は充分あるなんて言われても、実感がある人はいないと思います。
AIもその仕組から理解しようとする人なんてまずいない。
AIは「本当は」人類の仕事なんか取らない。
そんなことに関心ありませんから。
この「取る」という主体性を表す表現に、すでに科学への信仰が内在しているのではないでしょうか。
だからAIがAIと呼ばれなくなるほど空気のようになって、自明の(ように見える)結果を運んできてくれるなら、AIが人類の仕事を取るというより、人類が喜んで仕事とか主体性をAIに差し出すようになるんじゃないのかって思うんですね。
【参考】人工知能はわたしたちを“監視”し、判断している|WIRED.jp(2019/12/18 9:00)
それと気づかずに我々は「科学」という強烈なスティグマを背負わされるんじゃないでしょうか。
それが身近になればなるほど便利になり、考えることがなくなって、本当に頭を使うのは一部の人だけになる。
一部の専門分野に一部の人が詳しい。
自分の専門外のことはわからないし、ほとんど興味はない。
それが集まって社会を形成する。
我々は、一日の時間でどれくらい専門外の分野(自分の仕事以外)に真剣に頭を使っていると言えるのでしょう。
その余白への想像力がない人は全て「科学の忠実な子」になるかもしれません。