私は医療系広告代理店に在籍していた頃より医療用医薬品の広告に携わっています。医療用医薬品とは、いわゆる処方箋が必要とされる医薬品のことで、医師が病院で処方してくれるお薬です。
薬剤師の資格を持った専門的なライターや研究者、製薬メーカーや医療業界で勤務経験があるアカウントとチームを組んで、医師やコ・メディカルの方々をターゲットにした医薬品の広告と、それに付随するプロモーションや医薬品の情報発信活動を請け負います。
単純に「広告代理店」というカテゴリで括ることができない複雑な仕事で、もう少し相応しい名称があるのではないかと感じますが、医学的な専門性の高い情報を扱うことが中心で、一般の方の目に触れることが少ないBtoBのクリエイティブです。医薬品はグローバルで販売されることは珍しくないので、プロモーションを請け負うため世界中にネットワークを持つヘルスケアエージェンシーがあります。
私の前職も外資系だったので、ニューヨークにある本社に一人で行ったことがありました。そこで現地のデザイナーから様々な事例を紹介していただきましたが、一般的にみても説得力のあるデザイン・クオリティでした。それと比較すると、日本の医療用医薬品の広告、デザインは専門化し、客観的に評価しづらい部分があります。業界内外において専門性の高いメディカルコミュニケーションのデザインを評価する制度が乏しいことも一因で、それだけ未開拓の新しい領域であるとも言えます。
デザイナーなら、いわゆる「クライアントに理解がない」というのは誰しもが一度は耳にする言葉です。それに加え、どんな業界にも「自分たちの業界は特殊だから」と考えている人達がいます。「特殊」で「理解や感性がない」人を相手に「今まで見たことがないようなもの」を作ろうとして、その結果ターゲットのみならずクライアントも、作っている制作者でさえ?なものになってしまうことがあります。
言うまでもなく、これは根本的にアプローチを誤っており、特殊な人などいません。広告やコミュニケーションの仕組みがものすごい速度で変わっていく時代に、そういった迷路に迷い込まないためには、「特殊なもの」ではなく「普通の人」がすとんと腑に落ちるような「当たり前の感覚」こそ大事にするべきです。その意味で身近にあるけれど気づかなかったもの、親しみがある古いものの新しい組み合わせこそ、これからの時代に価値を生むアイディアでありデザインだと言えます。それは医療用医薬品のデザインでも変わりません。
今まで見たことがないような「スゴイもの」は人を圧倒しますが、必ずしもブランド価値の向上に繋がりません。ものすごい才能が一人でぐいぐい引っ張っていくのではなく、普通の人たちが試行錯誤し、一人ひとりの顧客を大事にして、様々な人々や周囲の環境・社会とバランスを取りつつ自分達の居場所なりブランドを創り上げる。これからはそういった価値観が広がっていくのではないでしょうか。
かつて伊藤穰一氏は、専門化分業化が進み、デザインという概念が拡張された現代社会におけるデザイナーとは「中央計画者ではなく、自分たちが中にいるシステムの参加者」として、外部から関わるのではなく、あくまで一人の参加者として他者の力やアイデアと相互作用するシステムを形成していくとしています。アーティスティックなスーパースターや独裁者としてのデザイナー、経営者は過去のものになりつつあります。
icon-angle-double-right Design and Science〈Joichi Ito – Journal of Design and Science〉(Updated Nov 22, 2017)
デザイナーには直感的な感性だけではなく、様々な規制のほか、論理的な理解やコミュニケーション能力が求められるようになり、業務は複雑化しています。しかし、反対に想像力の限り自由にやってよいと言われる仕事は、事業としてあまり意味があることでもなければ、もはや新しいことでもありません。「与えられた自由」は、どこまで広くとも本当の自由とは言わず、散歩やゲームと同じで、趣味の延長線上にあるものです。忘年会の余興と同じで、一週間もすれば忘れ去られてしまいます。消費サイクルが早い業界ならば忘年会の余興がニーズを満たしますが、医療デザインにおいては無意味です。医薬品の情報は常に更新されるので、売上とは関係なく精度の高い情報を提供し続けねばならないからです。
どのような業界にも業界なりに特殊なルールはあって、様々な専門家とコミュニケーションを図り、領域を横断しつつ、その枠をより良く変えていけるのが、優れたビジネスであり、現代における本当のアイディア=創造力なのだと思います。