写真は笑顔と真顔を人に選ばせれば、ほぼ間違いなく笑顔が「いいね」と選ばれる。
それはそれで良いのだけれど、何万もの写真を見て選んできた立場からすると、その「いいね」は「どうでもいいね」なのではないかと思うことが多い。
他人には無難に笑顔でいて欲しいし、明日にはそんなことすっかり忘れているだろう。
例えば新しい価値観や事業を社会に持ち込もうと挑戦する人が、そういう意見を鵜呑みにして良いのだろうか。
夏目漱石や太宰治、芥川龍之介と言えば「この写真」と思い出す写真がある。
文化的なものと言ってしまえばそれまでだが、海外のポートレイトは自己表現として作り込まれる印象がある。
極端な話、100人中99人に「変な写真」と思われても、ただ1人がそこにある「写された真実」を見てくれることの方が、大切な場合があるのではないか。
その人は「本物の味方」になってくれるかもしれない。
訓練されたデザイナーが行うフォトディレクションはそういったものを見るべきだ。