Categories: Design

伝えるより「伝わる」技術(主にデザインの話)

以前、初めてのご依頼がA社さんからあった頃のことです。「B社のようにもっとスッキリしたお洒落なビジュアルやイメージを作りたい」とのことでした。弊社のウェブサイトからお問い合わせいただいたのだから、スッキリした?イメージを持っていただけたのかもしれません。ありがたい話です。

実際にA社さんのこれまでの広告を見せていただくと、商品群を横並びにみて、ブランドとして捉える水平思考が欠如して、どの商品も全力で垂直に掘り下げに行きましたという感じで、バラバラな印象でした。

私はA社の広告と、B社の広告を数年分手に入れて比較しました。するとB社はデザイナーが変わってもそんなにトーンアンドマナーは変わっていないし、基本スッキリしており、質は安定している。

なので、そこはデザイナーの問題というより制作プロセスのどこかに問題があるのではないか、と推測します。ミケランジェロではないですが、彫られるべき形(=デザイン)はすでに石(=製品や依頼主)に内在しているのです。

実際の作業に入ると、「文章は削れない。押し込んでくれ」「ここはアイコンとかつけて目立たせてほしい」と、足していく発想がたくさん出てきます。足していったものがきちんとイコール(=)までいければいいのだけれど、1+1+1+1+…みたいに並ぶので、当然ごちゃっとしてきます。

これは目の前の相手を華麗なドリブル、つまり個人技で抜くことだけ考えているサッカー選手のようなもので、細部と全体のバランスが崩れているということです。

頭やセンスの良し悪しより、情報とその目的をきちんと整理して考えているかどうか

サッカーはドリブルではなく点を取るゲームだから、場合によってはピッチを俯瞰して後ろにパスを出すことや、味方のためにスペースを開ける地味な仕事も必要です。

派手な得点シーンや華麗な個人技が本質ではないのと同じように、デザインの本質も洗練されたお洒落な見た目や、アーティスティックな表現にはありません。情報をきちんと整理した結果として洗練されることは当然ありますが、それが目的ではないのです。

アレもいわなきゃコレもいわなきゃならない。細かいことにばかり目がいってしまう。しかし書いておけば人が読むわけではないし、太字にしておけば注意して読んでくれるわけでもありません。

免責事項を読む人はほとんどいないのに、それが「人に伝わるか」まではなかなか考えられなくなり、ついつい「ドリブル」を仕掛けてしまいます。その結果、3人ドリブルで抜いて4人目でとられて失点しても、ドリブルで抜けたことで満足しているということになり、「本当に伝えたいことは何だっけ?」になりがちです。

本当に伝えたいことは何だろうか

意志決定のプロセスにおいて、状況を俯瞰して的確なディレクションができるデザイナーが関わっているかどうかで制作の質は全く変わってきます

そのようなときに私の仕事の要となるものは、手を動かして成果物にすることよりも、クライアントと一緒に課題を考えることです。

デザインの技術は少し上手ければいいのです。今時上手なデザイナーはたくさんいます。デザインが上手いことより、クライアントと製品に向き合う誠実さが必要なのだと思います。

この場合の誠実さとは、自分が正しいと思うことを人に押し付けるのではなく、あくまでクライアントの価値観や意向を第一に尊重しつつ、コストとスケジュール管理、客観的な根拠を伴ったデザインのご提案なのです。

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