前提を疑うことは創造的に生きるために大事なこと

「業界」ってあるじゃないですか。
デザイン業界とか出版業界とか。
広く言えば組織ってことですけど、どんな業界でもいいところと悪いところありますよね。

業界構造が安定すると物事の序列や常識が決まるから、継続的な利益が出やすいし作業の道筋もつけやすい。
「普通はこうやる」「みんなこうやる」「上手い人はこうだ」というわけです。
その水準に対して「お前はまだ甘い」とか若い人に言ったり、「自分はまだまだ未熟」とか考えたりする。
不満があれば居酒屋でくだを巻くこともできる。

論理的で体系だった組織を構築する。
所属感と安心感がある。

でも反面、思考が硬直化した業界はとても厄介です。
物事を根本から考えなくなる。

そのルールは何のためにあるのか(誰のためのルール?)。
なぜ誰々は偉いのか(勲章を胸にたくさんつけているから?)。
その値段は誰が決めたのか(偉いから高いの?役に立つから高いの?)。
なんでそういう順番でやらなくちゃいけないのか(状況は常に変化して、同じ状況は存在しないのに?)。
そもそもそれは本当に必要なことなのか(頼まれたからやるだけ?)。

業界ありきの思考から離れられない。
硬直化した業界構造が行き着く果ては、コネと値下げと空疎なルーチンです。
それはやらせる人とやる人の格差であり、安直な多数決による思考停止です。

これは頭が良い優秀な人がハマりやすい罠でもあります。
論理的な人ほど、前提を疑わず「考え抜かれた」安易な選択をする。
自分が状況に即して考えたことではなく、誰かが昔考えたことに頼る。
自分の血管をくぐり抜けていない知識は、参考程度に留めておくべきです。

だから、新しいことや素敵なことをやりたい人、あるいは本当に効率がいいことをやりたいって人は自分が居心地がいい世界から、勇気を持ってちょっと距離をおく必要があるんだと思います。

それは端的にいって芸術的な所作なのかもしれませんが、ビジネスとは無縁だと考えるのは頭が固い人です。

「芸術は個人主義であり、個人主義とは心をかき乱し破砕するエネルギーである。そこに芸術のすばらしい価値があるのだ。というのはそれがかき乱そうとするのは単調な型、奴隷的な慣習、暴虐な習慣、人間を機械の水準に還元することだからである。」(オスカー・ワイルド『社会主義下の人間の魂』)

最近の個人的な経験と、上記の平野啓一郎さんのツイート(2019年3月14日)から思ったことでした。