デザインとビジネスの微妙な関係【DFI2017より】(Jun 7, 2017)
designとDesign、DESIGN、さらにはDE$IGN(!)。大文字と小文字という表現でデザインにメタ構造を持ち込むのはちょっとした流行ですが、分かりやすくまとめられています。
しかし「経営にデザインを取り込む」というのは、いかにもデザイナー側の発想で、「知らないうちに経営にデザインが取り込まれていた」というくらい内部に潜伏するのが、現代のデザイナーの在り方ではないでしょうか。最近は「デザイン」とは名付けない方が、真意は伝わるんじゃないかとさえ思います。
デザインとは何より「実用」という概念であり、そのための「設計」です。その範疇にビジネスがある。ビジネスという観点からのみデザインを論じるのは、視野を狭くしてしまいます。アートへの関わりも概ねビジネスですが、だからといってビジネスがデザインの本質ではありません。同時に、一部の人々に共有されるだけの実験には、現状では当然ながら一部の人にしか価値はないのです。
デザインの社会性
下記リンクは、台湾の学生が河川の水で作ったアイスから汚染状況がわかるというプロジェクトです。
「河川の水で作ったアイス」水質汚染を訴えるプロジェクトが注目を集める(Jun 7, 2017)
日本には、こういった思考が乏しく、端的に言って誰かの「耳に痛いこと」をクリエイティブで主張するリテラシーが乏しい。デザインには、どうしてもお菓子的、文化的エンターテイメントのイメージがつきまといます。甘味料や嗜好品としてのクリエイティブ(スィーツ・クリエイティブ?)ですね。
これはアートにも言えることです。「アートは自己表現であり、他者にとってはお金を払って愉しむ娯楽」「デザインは娯楽性を利用して、経済効果をもたらす」と便利に認識され、それぞれの本質的な「社会をより良くする力」は見過ごされがちです。
日本はデザインとアートのイメージが繋がりすぎているのですが、その双方が誤解されているように思います。当のデザイナーですら芸術に対して「アートは自己表現」といった認識を超えず、結果としてアートとデザインの曖昧な境界線上で、どちらつかずのところにいます。「デザインはアートではない」とはよく聞く言葉(反対に「アートはデザインではない」とは誰も言いません)ですが、それはデザインとアート双方に対する深い理解を前提とすべきであるにも関わらず、多くは片手落ちとなりがちです。
デザインでもアートでもない曖昧なイメージは、その時々で都合よく消費されるだけです。日本にはリアリズムとしてのクリエイティブという文化がないのが、医療とデザインの関わりにおいても、問題を難しくしています。