ふと気づけば、ピージーは多くの方に支えられて、2周年です。
独立してから7、8年ほど経ちますが、素晴らしく頭が良くても、クリエイターらしいセンスと技術がある人でも、事業として続かないケースというのをそこそこ見てきたと思います。
そうやって、いくつか会社やクリエイターが現れたり消えたりするのを見て思ったのですが、事業が続かないというのは何か失敗したとか運が悪かったというより、むしろ何もしないから消えていくということです。少なくとも何か失敗して消えていく人より、何もしないで消えていく人の方がかなり多いと思います。
だから、もしも創業という能力があるならば、もがいて足掻いて失敗して、恥かいて自分だけのやり方を作っていくことだと思います。「事業や仕事が続く人」みたいな記事が定期的に出てきますが、私が第一義的に考えるのはそれだけです。
創業、創造という能力
未来を見通すビジョンがあること。これは未来を想像する以上、ある意味、誰しもが頭の中に持っているものです。
大切なことは、それを世の中にむけて表現することです。世の中とは、親戚の叔母ちゃんから大企業の経営者に対してまで、臆することなく主張するということです。「この人には言ってもわからない」あるいは逆に「自分はまだまだ」というのは、止めておきましょう。
頭がいい、才能やスキルがあるとかは本質ではなくて、それは人に頭を下げて借りてもいいし、後からでも足していけます。逆にいうと、知性や才能・スキルに乗っかった事業は、少なくとも創造的な事業ではない。それらは資本があるということと同じで、あるに越したことはないし増やしていくものですがコアな部分ではありません。
これは個人的には一番キツいのですが、なに勘違いしてんのとか、こんなことも知らないのとか、場合によっては「可哀想な人。あなたは井の中の蛙よ!」というカワイイ女子の憐れみの眼差しにさらされるとか。砂を噛むような屈辱や赤っ恥をかいて、そういう姿を人に見せ続けるというのが、創業というか創造に関わる独特の才能かなと思います。これが出来る人は、結構いいところまでいくんじゃないでしょうか。
居酒屋ではいいことを言う人が、会議室では静かだったりする。理想を吠えるなら居酒屋ではなく会議室にする人のほうがユニークです。
オスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」という古典的な小説において、「若い頃の情熱を取り戻すにはどうしたらいいか」と聞かれたヘンリー卿が「致命的な過ちを繰り返すことです」と応えるくだりがあるが、近いことを言っています。若い頃の試行錯誤において、誰しもが情熱的かつ創造的だからです。
私は恥をかけなくなったら、事業は畳むべきだと思います。失敗して恥かいて終わるのは、別にいい。何もしないで終わるのが本当の失敗です。しかし、私の知りうる限りですが、これが出来る人は何気にカッコイイ。逆説的ですが、恥かく覚悟がある人はカッコイイと思います。
〈未来を見通すメガネ?〉